温泉浪漫 【宿ぷらざ】 温泉の歴史
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古墳時代の温泉
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風土記、日本書紀、古事記などでは天皇の入湯記録があり、これらの歴史的文献に基づいて、「伊予の湯」=愛媛県・道後温泉、「牟婁の湯」=和歌山県・白浜温泉、「有間の湯」=兵庫県・有馬温泉が「日本三古湯」と呼ばれているようです。また「出雲国風土記」にも島根県・玉造温泉の記録があり、やはり古い歴史を持っていることが分かっています。
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奈良時代の温泉
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仏教伝来による影響が大きく、寺院で施浴が行われ温泉開発も僧侶により行われました。修善寺、法師、塩原などの温泉も湯治の僧、空海により開拓されたといわれており、温泉と布教により病を治そうとしたと思われます。
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平安・鎌倉時代の温泉
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平安時代に編纂された「万葉集」にも多くの温泉地が登場します。神奈川県・湯河原温泉や長野県・上山田温泉など、東国の地域の温泉も利用されていることが明らかになっています。この頃の温泉は、貴族僧侶達の遊興や病気を治す目的で温泉を利用した湯治が行われたり、僧侶の布教活動の一翼として温泉指導が行われていました。仏教との関わりも深く、一遍上人が別府の鉄輪で蒸し湯を開いたという記録も残っています。
源頼朝が1192年に鎌倉に幕府を開き政治の中心が京都から関東に移った鎌倉時代以降は、関東・東海・東北・甲信越などの多数の温泉地が文献上に登場してきます。病気になった僧侶たちは、温泉地に出かけて(転地)湯治を行っていました。例えば日蓮上人が常陸の湯へ、義堂周信が熱海の湯へ、聞了房が箱根の湯へそれぞれ湯治に出かけている記録が残っています。
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室町時代の温泉
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温泉は遊興の場として公卿、武家の間で接待に用いられていました。当時は温泉は一般庶民に普及することはなく上流階級、武将がもっぱら利用していた様です。また、上州の草津温泉(群馬県)が歴史的文献に登場するのはこの頃からです。高僧や歌人などが草津温泉を訪れている記録が残されています。
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安土桃山時代の温泉
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この時代は戦国時代で、各温泉地は、戦傷者の治療で盛んに利用されていました。特に武田信玄や真田幸村などの戦国武将の「隠し湯」は有名で、下部温泉をはじめとして甲信越地方には数多くの温泉が知られています。また、豊後の別府温泉郷(現在の大分県で)は、蒙古軍と戦った傷兵を温泉で治療したという記録が残されています。
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| 江戸時代の温泉 |
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徳川時代は温泉に関しての研究が進みました。まだ医療技術が十分に発達していなかった為、温泉の効能はとても重要視されていたからです。「一本堂薬選続編」(1738年)という書物は、この頃に書かれた温泉療法についての最初の医学書といわれています。将軍や大名などの湯治が盛んだった一方で、多くの一般庶民も温泉を利用していた記録も残されています。それは、江戸時代になり、それまでの「蒸し風呂」から「お湯風呂」の人気が出てきて、銭湯という共同浴場ができたからの様です。
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| 明治時代の温泉 |
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明治になると西洋医学が導入され、日本の温泉医学も西洋医学に基づき研究されるようになりました。
1849年東大医学部教授として迎えられたドイツ人ベルツにより、現代医学の温泉医学を日本に導入されました。それと同時に、伊香保(群馬)、草津(群馬)、熱海(静岡)、箱根(神奈川)、那須(栃木)などの温泉に指導をしています。しかし、第二次大戦後はアメリカ医学が盛栄になり次第べルツの温泉場の構想は無視され遊興の場へとなっていったのです。
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